伝説のスター、山口百恵さんが引退して40年が経ちました。 それにもかかわらず、山口百恵さんの輝きは色褪せることがありません。
山口百恵さんが活躍していた時代のファンはもちろんのこと、百恵さんのことを知らない世代の若者たちも、百恵さんがステージで歌っている姿を見て、「感動で涙が止まらなかった」といったコメントが相次ぎ、ネット上は騒然となったのです。
山口百恵さん、本当に今でも「スター」なんですね。
そんな山口百恵さんは、いったいどんな方だったのでしょう? 百恵さんを知らない世代は気になりますよね。
この記事では、山口百恵さんの生い立ちやプロフィールを紹介していきますね。 とても辛い生い立ちをお持ちのようですよ。
山口百恵のデビュー
山口百恵さんは1973年12月、13歳の時に、オーディション番組「スター誕生」に出場して準優勝したことが芸能界に入るきっかけとなりました。 プロダクション20社から指名を受けたそうですよ。
ただし、この時に審査員だった作詞家の阿久悠さんからは「青春ドラマの妹役なら良いけど歌手は諦めた方が良い」と言われてしまったそうです。
まさか、この数年後に山口百恵さんが伝説のスターになるとは思いもよらなかったでしょうね。
翌1974年4月に映画「としごろ」に出演し、5月に同名の曲でデビュー。 森昌子さん、桜田淳子さんと「花の中三トリオ」と呼ばれ、注目を集めることとなりました。
デビュー曲の「としごろ」は期待するほどの売り上げはなかったようですが、2ndシングルの「青い果実」でイメージチェンジを図ったことで大成功し、大ヒットをとばしたのです。
初めは、幼さを残す清純な少女がセクシーな歌詞を歌ったということで話題になったのですが、すぐにそれだけではない、ありあまる存在感を発揮して、山口百恵さんは一気にスターダムを駆け上がることとなったのです!
山口百恵の生い立ち
実は、山口百恵さんは、スターとしての輝かしい姿からは想像できない、とても辛い生い立ちを持っていました。
山口百恵さんは引退する直前に自叙伝『蒼い時』を刊行していて、そのなかで複雑な生い立ちについて赤裸々に語っているのです。
山口百恵の生い立ち① 山口百恵は父親を憎んでいた?
山口百恵さんは愛人の子として生まれ育ちました。
父親には本妻がいて、山口百恵さんの母親は愛人だったのです。
自叙伝『蒼い時』の中で、「私には父親はいない。私はあの人の存在を認めない」と語っていますので、山口百恵さんは父親のことを憎んでいたようです。
それというのも、父親は正妻と離婚することはなく、週末にだけ顔を見せるだけ。 しかも経済的支援はほぼなかったようなのです。
そのため、山口百恵さんの家庭はとても貧しく生活保護を受ける時期もあり、母親は生活を支えるために内職をしていたそうです。
父親の職業は医者だったということなので経済的に余裕があったと思えるのですが、山口百恵さんの家族に支援をしないなんて、どうしてそんなひどい行動をとったのでしょうか。
山口百恵さんは父親に対して複雑は思いを抱えて育ったようです。
山口百恵の生い立ち② 山口百恵は父親と縁を切る
山口百恵さんの父親は、百恵さんが歌手として有名になると、親であることを利用して事務所から借金をしたり、親権を取ろうとして裁判沙汰を起こしたりしたそうです。
そして、山口百恵さんは父親に嫌気がさし、自分で稼いだ多額のお金を父親に渡して、完全の親子の縁を切ったのです。
この頃、山口百恵さんは、俳優の三浦友和さんとの結婚を決めていたので、ここで父親とはっきりと縁をきって、わだかまりなく、晴れて「三浦百恵」になろうとしたのではないかと言われています。
また、母親や家族が幸せになるためには、父親と縁を切った方が良いと判断したのかもしれません。
このような複雑な生い立ちであったため、芸能界入りしたのはお金のためというウワサもあったようですが、山口百恵さんはこれを否定しています。
「芸能界へ入ったのは、同い年の森昌子さんがテレビで活躍しているのを見て、『自分も森昌子さんのようになりたい』と思った」と話しています。
でも、母親に楽をさせてあげたいという気持ちはあったかもしれませんね。
山口百恵の引退
山口百恵さんは、歌手として、スターとして絶頂期にあった1980年10月に引退しました。
同年10月5日に日本武道館で開催された引退コンサートは、一時代の終わりを告げる伝説のコンサートといわれています。
山口百恵さんは、なぜこの時期に引退を決めたのでしょうか?
山口百恵の結婚
山口百恵さんは、俳優の三浦友和さんとの結婚を機に引退することを決めたのです。
引退の1年前、1979年10月、山口百恵さんはリサイタルで「私が好きな人は、三浦友和さんです」と宣言をしたのです。
その後、三浦友和さんも記者会見で「結婚を前提に付き合っています」と語り、人気絶頂の二人の恋人宣言とあって、大反響を呼ぶこととなりました。
そして、翌1987年3月7日に婚約発表をすると同時に、山口百恵さんは「わがままな生き方を私は選びました。」「お仕事は全面的に引退させていただきます。」と芸能界を引退すること公表したのでした。
山口百恵さんの引退は、多くのファンと芸能界に大衝撃をあたえ、所属事務所のホリプロは山口百恵を失って「つぶれるのではないか」と言われたほどでした。
山口百恵さんの芸能活動は7年半ほどでしたが、1970年代に最もレコードを売り上げた歌手なのです。
それほどの人気絶頂期の山口百恵さんでしたが、「私は多くの人に愛されるよりは、一人の人に愛されたい」という言葉を残しています。素敵ですね。
また、当時のホリプロ社長の堀威夫さんも、「三浦友和の魅力にホリプロが負けたんだから仕方ない。」といって、快く山口百恵さんを送り出してくれたそうですよ。
山口百恵の伝説の引退コンサート
1980年10月5日に開催された引退コンサートは、今でも伝説のコンサートとして語り継がれています。
山口百恵さんは当時まだ21歳でしたが、ステージに立つ姿は神々しくさえあり、歌手としても女性としても、充実感に満ち溢れた輝かしさを放っていたと言われています。
本当に美しかったようですね。
コンサートの最後には、会場のファンに「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」と告げ、最終曲「さよならの向こう側」を涙で歌いあげました。
そして、ファンに深々と一礼をした山口百恵さんは、白いマイクをステージの中央に残したまま、舞台裏に去っていきました。
この退場の様子は、あまりにも有名で、伝説として語り継がれていますよね。
その引退コンサートについては、2020年10月にNHKBSプレミアムで「伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”」として放送され、さらに2021年1月30日にはNHK総合でも再放送され、引退後40年経った今でも大反響を呼んでいるのです。
当時からのファンはもちろんのこと、山口百恵さんのことを知らない世代の若者たちも、ステージで歌っている山口百恵さんの姿を見て、衝撃を受けたようです。
「感動で涙が止まらなかった」「同じ時代に生きていたら絶対にファンになった」といったコメントがネット上に相次いで登校され、大きな話題になっています。
やはり「伝説のスター」山口百恵さんは、世代を超えたすべての人の胸に刺さるもの、本当のスターだけが持つ特別な輝きを持っているのでしょうね。
山口百恵のプロフィール
最後に山口百恵さんのプロフィールを紹介します。