シン・エヴァンゲリオン劇場版が公開され、謎が多かったエヴァンゲリオンシリーズに終止符をうつこととなりました。
エヴァンゲリオンファンとしては話しが終わらずムズムズしていたところに完結ということでホッとしました。
しかしながらやはり謎が残る展開が数多くありましたね。
その中の謎の一つが新劇場版からの登場となる『マリ』の存在が大きい。
今までの流れからなると、ヒロインは『綾波レイ』もしくは『アスカ』でしたが、最終的には『マリ』でした。
こんなにも『マリ』が活躍してくるなんて誰が予想できたでしょうか。
そこで一番気になった『真希波・マリ・イラストリアス』についての
についての一考察を記事にしましたのでご興味がある方はご覧頂けると嬉しいです。
一部解釈について様々な意見がり、相違があるかもしれませんが、そこは考察としてご容赦下さい。
また、ネタバレを一部含んでいますのでまだ、『シン・エヴァンゲリオン劇場版をまだ見てないよ』という方はご注意下さいね。
真希波・マリ・イラストリアスの正体は?何者?
真希波・マリ・イラストリアスは碇ゲンドウ・ユイと大学の研究室で一緒だった
エヴァンゲリオンをよく知っている方は当たり前かもしれないですが、マリは碇ゲンドウ・碇ユイとは大学の研究室で一緒でした。
マリって碇シンジやアスカとかと同じ歳くらいかと思ったら、なんと碇ゲンドウとかと同じ年代なんですね。
見た目など若いので何で?と思いますよね。
エヴァンゲリオンって物語が複雑なので何がなんだか分からなくなってしまいます。
このシンジなどと同じ年に見えることに関しては次の項目で説明することにしますね。
実はマリは飛び級で16歳の時にで京都の大学に進学しているのです。
なので、マリは碇ユイなどよりかは若干若いことになります。
その時にマリは冬月の研究室に所属することになり、碇ユイと出会うのです。
漫画版第14巻に登場。
シン・エヴァンゲリオンでマリは冬月のことを「冬月先生」と呼んでいます。普通の人だったら冬月副指令とか呼ぶはずであり、「冬月先生」とは呼ばないはずです。
このことからも冬月が大学時代の教授の時に関わっていたことを意味していると考えられます。
真希波・マリ・イラストリアスは碇ユイのことが好きだった?
マリは碇ユイに恋愛感情を抱いていました。同性愛者だったのでしょうか。それとも碇ユイという人物そのもののことが好きだったのでしょうか。
個人的には、同性愛の単なる恋愛感情ではないだろうと考えています。 マリは『碇ユイ』という存在自体に、強く心惹かれたのではないでしょうか?
碇ユイがどういう人物だったのかはあまり明らかにされていませんが、『碇ゲンドウ』『冬月』は、人類を巻き込み、一生をかけて碇ユイのこと追いかけてきたのです。
碇ユイに関わった人物はみんな碇ユイのことを好きになっていますから、女性男性関係なく、誰もが愛さずにはいられない、求めずにはいられない、特別な存在であったのでしょう。
碇ユイのことが、まるで「聖母マリア」のように思えてくるのです。
エヴァンゲリオンは新約聖書に基づいているエピソードも多いですし、シンジはまさにイエス・キリストのようなエヴァンゲリオンの救世主ですから、碇ユイは「聖母マリア」をイメージさせる存在に思えるのです。
その碇ユイのことが好きな女性代表として『マリ』の存在があると考えています。 そしてマリは、碇ユイを愛するがゆえに、ユイのかわりに「聖母マリア」としてシンジを守っていくのでは?
(マリが「聖母マリア」である理由は後述します。)
碇ユイが特別な存在であることは確かですから、碇ユイをテーマにした映画なども今後期待したいと思ってます。
真希波・マリ・イラストリアスが若いのはなぜ?
マリはシンジとかと見た目が変わらなく、同世代に見えます。
碇ゲンドウや碇ユイと同世代のはずが子供のシンジと同じくらいの年齢に見えるなんておかしい・・・。
リアルな話しだと年を取らないってある意味羨ましいですが。
新劇場版『破』から何故か『Q』になると14年の月日が経っていました。一気に年をとってます。
周りの人達は年を取ってましたが、シンジ、アスカ、マリなどのエヴァパイロットはみんな見た目が変わっていません。
この若く見える現象はエヴァパイロットのみの現象で新劇場版『Q』でアスカが言っていた『エヴァの呪縛』によるものと推測するのがスマートと考えられます。
真希波・マリ・イラストリアスが歌っているのは懐メロ
マリは戦闘中によく歌っています。 それが懐メロなんですよね。
だだの懐メロ好きかもしれないですが、昔の歌を口づさむこから碇ゲンドウや碇ユイとかと同じ世代ということが分ります。
マリが作中で歌った曲は以下の通りです。
No | 曲名 | 歌手 | 発売年 |
1 | 365歩のマーチ | 水前寺清子 | 1968年 |
2 | ひとりじゃないの | 天地真理 | 1972年 |
3 | グランプリの鷹 | 水木一郎 | 1977年 |
4 | 真実一路のマーチ | 水前寺清子 | 1969年 |
イスカリオテのマリアとは?
シン・エヴァンゲリオン劇場版のクライマックスに近づくシーンの中で、冬月はマリのことを『イスカリオテのマリア』と呼んでいます。
『イスカリオテのマリア』にはいったいどんな意味があるのでしょうか?
実はこの言葉が、シン・エヴァンゲリオンのラストでシンジとマリが結ばれることを予感させているのです!
イスカリオテ=裏切り者のユダ
「イスカリオテ」とは、イエス=キリストの十二使徒の一人「裏切り者のユダ」のこと。
ユダの正式式名称を「イスカリオテのユダ」というのです。
ユダはたった30枚の金貨を得るためにイエスのことを裏切りました。 そのため、「ユダ」=裏切り者の象徴となっています。
マリは冬月に『イスカリオテのマリア』と呼ばれていましたが、マリが裏切り者だったということなのでしょうか?
真希波・マリ・イラストリアスは「裏切り者」?
確かにマリは、冬月や碇ゲンドウにとって「裏切り者」といえるでしょう。
マリは冬月の教え子であり、碇ゲンドウとは同級生で、一緒に研究をしていました。
そして新劇場版『破』まではマリはNERV側のエヴァパイロットでしたし、冬月やゲンドウに対する様子から見ても、「人類補完計画」に深くかかわっていた可能性があります。
ところがマリは、新劇場版『Q』以降は反NERV組織のWILLEのメンバーとなり、冬月やゲンドウと対立する立場となっています。。
つまり、マリは冬月やゲンドウにとって「裏切り者」=「イスカリオテ」ということになるわけですね。
真希波・マリ・イラストリアスは「真理を授かった者」?
「ユダ」は裏切り者と称される一方で、「真理(しんり)を授かった者」だったという説もあるのです。
新約聖書の外典である「ユダの福音書」には、「イエスを裏切ったイスカリオテのユダが実はイエス・キリストの弟子の中の誰よりも真理を授かっている」、さらに「裏切り自体もイエス・キリスト自身がユダへ指示したものである」という内容が示されていたそう。
ユダの福音書は古来よりその存在が示唆されていたのですが、1970年代に発掘され、2006年にやっと復元作業が完了して世の中に発表されたのです。 エヴァンゲリオン新劇場版のストーリーの中にこの説が組み込まれた可能性があるかもしれません。
となると、冬月から「イスカリオテ」と呼ばれたマリは、単なる「裏切り者」なだけではなく、実は「真理(しんり)を授かった者」なのかもしれませんね。 (それに真理(しんり)はマリとも読めますよね!?)
いったいマリが授かった真理(しんり)とはいったい何なのでしょう?
真希波・マリ・イラストリアスが授かった真理は「碇ユイの願い」
マリ、冬月、碇ゲンドウ、そして碇ユイは、エヴァ開発に関わる研究をしていました。 そしてマリ・冬月・ゲンドウの3人とも、ユイに好意を持っていたのです。
エヴァの開発実験によりユイは初号機のコアと同化し、エヴァに取り込まれてしまいました。 それにより、冬月とゲンドウは、ユイと再会を果たすために人類補完計画を実行しようと考えるようになります。
でも、ユイの願いは「人類を使途から守ること」でした。 そして「人類の未来のため」、「シンジと未来のこどもたちのため」にエヴァに乗ると語っていました。 ユイの願いは、人類補完計画とは相対するものだったのです。
そのためマリは、ユイの願い(=真理)である「人類を守る」「シンジを守る」ために、冬月・ゲンドウと戦う道を選んだのではないでしょうか。
マリは、冬月・ゲンドウを裏切り、ユイの願い(=真理)を授かった『イスカリオテのマリア』だと考えられるのです。
真希波・マリ・イラストリアスが『マリア』である理由
冬月がマリのことを「裏切り者」「真理を授かった者」=「イスカリオテ」と呼んだわけは想像できましたが、ではなぜ『イスカリオテのマリア』と呼んだのでしょう?
『マリア』は新約聖書の「聖母マリア」、つまり救世主イエス・キリストの母を意味していると予想されます。
碇シンジはエヴァンゲリオンの救世主ですから、マリはシンジにとって「聖母マリア」のような母的存在ということなのでしょう。
シン・エヴァンゲリオンのでも、アスカが失意のシンジに向かって「あいつに必要なのは母親よ」と発言しています。
そして、最後、たった一人で残ったシンジを迎えにいったのはマリでした。 マリはシンジを守る『マリア』だったのです。
ただし『マリア』には、「聖母マリア」だけではなく「マグダラのマリア」という意味もあります。 「マグダラのマリア」はイエス・キリストの妻であったといわれる女性です。
シン・エヴァンゲリオンではシンジが少年から大人へ成長していく様子が描かれていて、クライマックスシーンで父のゲンゾウと向かい合うことができたことで、親離れしたことが示されています。
成長して変わっていくシンジに対し、マリも、「聖母マリア」のような母的存在から、「マグダラのマリア」のような妻的な女性としての存在に変わっていったのでは?
エンディングで、マリとシンジが手をとって駆けていくシーンで、二人の関係が変わっていったことを感じさせますね。
マリ=『イスカリオテのマリア』は、「聖母マリア」であり、「マグダラのマリア」でもあったのではないでしょうか。
マリエンドの理由
シン・エヴァンゲリオンは、シンジが、レイでもアスカでもなく、マリと結ばれる形で『マリエンド』を迎えることとなりました。
この予想外の結末には驚かされましたよね。
でも、『イスカリオテのマリア』の意味合いを考えると、『マリエンド』となったことは驚くべきことではなく、当然の結果だったと思えてきます。
マリは「イスカリオテのユダ」のように、冬月とゲンドウを裏切って、碇ユイの願いをかなえようとしたのです。
そして「マリア」として、母としてシンジを守り、妻として一緒に歩んでゆく存在となったのですね。
マリの存在をこんなふうに考えながら、もう一度、エヴァンゲリオン劇場版4作を見直してみると、より楽しめるかもしれませんね。
『マリエンド』がさらに心に響いてくるのでは??